運営者けんのすけのプロフィール1 生い立ちから高校退学まで

商売人の家系の父と教育者の家系の母に育てられました。母方のおじいちゃんは教育学部の大学教授、おばあちゃんが小学校の教師で、お母さんはいわゆる”教育ママ”でした。小学生の時から学習塾に通い、勉強すると褒められる、そんな家庭環境でした。

ちょうど10歳の時にJリーグがはじまり、同時期にサッカーボールを蹴り始めました。はじめたばかり頃から体格が良かった事もあり市の選抜候補になるほど、見込まれていました。コーチ陣からも「お前なら、Jリーグにいけるかも知れない」なんて言われて、舞い上がり卒業アルバムには、「将来の夢はサッカー選手です」と書いていました。

中学生になって将来の事を意識するようになり、本気でサッカー選手になりたいと考えるようになりました。毎日暗くなるまで学校で練習をして、家に帰ってきてからも自ら走り込みをする程サッカーにのめり込んでいました。

高校の進路相談の際に真剣に母親に「将来はサッカー選手になりたい」と伝えると、「仮にJリーグ選手になれたとしても、引退した後どうするの?」「30代から40代の働き盛りの時に仕事がなければ、家族養っていけないよ」と否定されてしまいます。こうして文字にしてみると、子を想う愛情から伝えていることが今ならわかります。ただ、当時の僕には、生まれて初めて自分の夢を否定され、傷ついた瞬間で、同時に親への反発がはじまりました。いつかはサッカーを諦めて、父親のようにサラリーマンとして働かなきゃいけないんだろうなと子供心に決めました。

中学最後の大会に向けての練習中に鼻の骨を折る大怪我をしてしまい、数か月練習を休まざる得なくなってしまった時期があります。怪我でサッカーという生きがいがなくなり、空っぽのようになっていた僕は、同じように生きがいを見いだせない”休み時間には体育館の裏でタバコを吸っているような”友達と過ごすようになってしまいます。怪我が完治した後も、僕はそのままずるずると彼らと付き合うようになり、母親の一言がプレッシャーになりサッカーを辞めてしまいます。

高校に進学後は、サッカーを諦めた腹いせに親へは日に日に反抗していきました。「勉強をしなさい」とか「宿題やったの?」とか細かくは言われませんが、「良い大学」「良い会社」というレールへのプレッシャーは日々感じながら過ごしていました。卒業が近づくにつれ将来への漠然として不安が高まり、更に荒れていきました。バイクでの通学やタバコや喧嘩などで停学を繰り返し、遂に高校3年生の時に退学になってしまいます。

退学という事実は人生における大きなターニングポイントとなり、全てを失うほどショックな出来事でしたが、次の学校で今でも慕う恩師や生涯の親友と出会った事で人生に無駄な事はなにひとつなく、点と点は繋がっていくのものだと悟る。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

1 × three =